【バスケ】助けたいのは、理想…ですかね?
昔は『理想』みたいなモノがあった様に思う。
こうでないとダメ!みたいなモノじゃなくてな。
”こうあって欲しい”という願望みたいなモノかな。
それが今となっては少々形が変わって来てたりする。
より選手個人のやり方に近いトコロになった様な。
そんな感じがしているのだ。
選手のこだわりを包みこめる範囲と言えばいいだろうか。
極地から範囲への変化が、わしの中で起こったのだ。
ココのほんの10数年で、色んなコトがあったしな。
コロナ禍という意味不明なアレまで経験してしまったし。
ま、あの当時もそうか。。。
海を見ながらの朝練や夕練をまだまだやってたなぁw
バスケから離れるという選択肢は、今も昔もないしな。
その辺りに積み上げた経験こそ貴重でね。
理想の変化に、少し影響してると、自分で分析してるのだ。
だけど、相手は人である。
変りもするし、根っこが腐ってナニモカモ棄てるヤツも。
そうなってからが本当なのかも知れないが、、、。
ナニカ間違っているように思うのだ。
「助けたい」は失礼なコトであろうか?おこがましいのか?
この「助けたい」に私欲の理想を混ぜ合わせていないか?
そうやって日々葛藤であるよ。
どんなに歳を取っても、バスケと教え子から学ぶ事が多い。
わしはいつまで経ってもヘッポコのままであるw
追伸》どうですか?ソッチは?
バスケを10年間以上も辞めれるってのはそういう事です。尊敬しますよ。
バスケに携わってなくて生きていけるってのは、もう・・・。
バスケットボーラーではないし、バスケ好きでも、指導者でもないです。
最初からそのニオイはしてましたけど、やはり所詮はソコまでですかw
ま、アナタの能力の天井がソコだったって事です。気にしないで下さい。
さよなら。。。bro。。。
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